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東京高等裁判所 昭和39年(う)2666号 判決 1965年8月27日

被告人 関満寿男

主文

原判決を破棄する。

本件を水戸地方裁判所へ差し戻す。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人海野普吉、同竹下甫、同山田伸男共同名義の控訴趣意書に記載されたとおりであるからこれを引用し、これに対し次のとおり判断する。

一、控訴趣意第二点について。

論旨は、原判決には減速徐行義務違反の点につき必要な審理を尽さず重大な事実誤認をしただけでなくこの点に関し理由不備の違法があるというのである。

よつて検討するに、原判決は本件の事故につき被告人が前方注視義務と減速徐行義務とに違反したことを理由にその過失責任を問うているものと解されるのであるが、その具体的事実関係として判示するところによると、被告人は第一種原動機付自転車を運転し桂村役場圷支所から二級国道を常北町大字石塚方面に向い時速約三〇粁で南進し、桂村大字上圷九一六番地附近路上にさしかかつたところ、折柄進路二百数十メートル前方に対向する貨物自動車を認めて進行を継続するうち、次第にこれに接近し、間もなく互に前照灯の光度を減じ擦れ違いの体制に入つたが、その附近道路は幅員七メートルに亘つてアスフアルトで舗装されているけれども前方百数十メートル先からは砂利道となつた直線道路であり、その両側には人家が散在し、街路灯の設備もなく、附近一帯が暗く、しかも当夜は少しく北風を伴つた雨降りであつて路面が湿潤し視界がきかず見透しが悪い状況の下で前記速度のままで進行し、たまたま該道路の前方左側をゴム長靴(証第四号)を履き洋傘(同第三号)をさし、重箱を提げて北方に向つて対向歩行中の畠山信孝(当時五八年)に気付かず、対向する前記貨物自動車と擦れ違つたその直後はじめて歩行する同人を六、七メートルの至近距離に認め急遽ブレーキをかけ急停車の措置をとつたが及ばず、自車の前部を右畠山に衝突させたというのである。果して右畠山が前記の如く対向歩行中のものであつたか、被告人がこれに衝突したものであるか、また、六、七メートルの至近距離ではじめて同人を発見したというのは前方注視義務に違反したものであるか否かは後記のように所論の争つているところである。前方注視義務を尽しても、なおかつ六、七メートルの至近距離でしか発見し得ないものであるならば、その際急制動しても及ばなかつたことは厳然たる事実である以上、被告人が三〇粁の速度で進行したこと自体が当該状況からみて過失ではないかと疑われるのである。原判決のいうように、六、七メートル手前ではじめて発見したということが前方を注視警戒すべき義務を怠つたことになるというのであれば、それなら被告人が前方注視義務を尽した場合には一体何メートル手前で発見することができたかということが直ぐ問題になるわけで、次でその発見し得べき地点で緊急措置を執つておれば衝突を避け得たか否かが明かにされねばならない。そうした措置を執つてもなおかつ衝突を避け得なかつたということになつてはじめて、前記速度で進行したことが被告人の過失であるか否かが問題となるのであつて、その意味では被告人の車の制動能力が重要な問題となるこというまでもないところである。このように考えて来ると、原判決にいうところの減速徐行義務は本来前方注視義務と密接不可分の関係にあるものではあるが、いやしくも被告人の減速徐行義務違反の点を捉えてその過失責任を問う以上この義務の前提となる前記の問題点について十分な審理を尽し、これを明かにしておかねばならない。原判決はこの点において審理を尽していない憾みがある。

一、同第三点について。

論旨は、原判示の前方注視義務違反の点について、被告人は終始十分自車の進路前方を注視してきたのであり、対向車の前照灯の光度に眩惑されたこともない、自車の前照灯の光の達する範囲内と対向車の前照灯の光により明らかにされた自車進行方向左側の路上部分しか見ることができなかつたのであり被害者は不幸にして右以外の死角に存在していたものである。また被告人は矯正眼鏡を使用していなかつたけれども、これが前方注視義務違反の原因となり得るためには眼鏡を着用していたならば進路上の障害物を確認できた場合でなければならない。しかるに原判決は前照灯の照射距離、被告人の眼鏡着用の有無による視界の差異及び雨水の眼鏡に対する影響等について何等の審理をしなかつたのは審理不尽であり、ひいて重大な事実誤認をしたものであるというである。

よつて検討するに、原判決は、被告人が前方を注視警戒すべき注意義務に違反しこれを怠り、矯正眼鏡着用の免許条件に反して矯正眼鏡を着用せず漫然進行し、漸く六、七メートルの至近距離に至つて歩行中の畠山信孝に気付いたのを被告人の過失と認定していること所論指摘のとおりである。しかし、六、七メートルの距離で発見したのが被告人の過失であるとするためには、被告人は何メートル手前で歩行中の被害者(その点に争のあること後記のとおりであるが)を発見することができたかが先ず問われねばならない。原判決によれば本件事故は一二月一五日午後六時四五分頃で附近に人家が散在するが街路灯の設備もなく附近一帯が暗く、しかも当夜は少しく北風を伴つた雨降りで視界がきかず、見透しが悪い状況であつたとされている。しかし被告人は自車の前照灯をつけていたのであるから被告人の車の前照灯の照射距離、出来得れば対向の貨物自動車の照射距離、照射範囲が究明されねばならないのである。そうして被害者を凡そ何メートル手前で発見し得るかが確定されてはじめて、被告人に前方注視義務違反があるか、前方を注視したとしてなお衝突を避け得るか否か、避け得ないとしてもそのほかになお前記のような徐行義務違反の責任があるのではないかというようなことが明かにされて来ることになるのである。また被告人が矯正眼鏡を着用しなかつたのが被告人の過失であるとするためには、眼鏡着用の有無による視界の差異が究明されなければならないこと所論指摘のとおりである。してみると原判決は前記各種の問題点について十分な審理を尽さないで被告人の過失責任を問うたことになるのである。

一、同第四点について。

論旨は、被告人作成の始末書及び司法警察員に対する供述調書は到底信用すべからざるものであり、畠山信孝が被告人と対向歩行していたと認めるに足る証拠はなく、被告人が自車を畠山に衝突させたとすることには多大の疑義がある。結局原判決には本件事故原因につき重大な事実誤認があり右誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかであるというのである。

よつて検討するに、被告人は検察官に対する供述調書や原審公判廷における供述において、自車が洋傘に接触したことはあるが自車が畠山を転倒させ死に至らしめたものではないと主張するのであるが、一方被告人より水戸警察署長宛の昭和三七年一二月一五日付の始末書及び被告人の司法警察員に対する供述調書においては、被告人は対向歩行中の畠山信孝に自車を衝突させたことを自白しており、司法警察員作成の実況見分調書にはほぼこれにそう記載があるが、所論は右司法警察員に対する供述調書や始末書記載の供述の信憑性を争つているのである。そして右司法警察員に対する供述調書や始末書の記載を措信するか否かは事実認定の中心問題でもあるので全証拠に照らし十分検討しこれを合理的に評価せねばならないのはいうまでもないことである。原審における証人石塚吉郎、同畠山悦子の各供述調書、証人畠山なか、同飯島久雄の原審公判廷における供述によると被告人が事故直後頃本件犯行を自認していたことがうかがわれるのである。しかし、本件現場の最も近くにいた原審における証人猪野良忠、同猪野五郎兵衛も本件事故を的確に目撃していないので、畠山信孝が死亡している以上、被告人のみが最も良く真相を知るものであり、結局被告人の前記供述調書における供述が正しいか、それとも、被告人の検察官に対する供述調書や原審公判廷における供述が正しいか、これらの供述を客観的状況に照らして仔細に吟味して事の真相を探るほか他に方法がないのである。ところで司法警察員作成の実況見分調書、原審における検証調書、原審における証人飯島久雄の供述、証人石塚吉郎の尋問調書によると、現場における血痕の状況からみて、畠山信孝の受傷地点は原審における検証の際同人の倒れていた地点として指示された場所即ち大森実方出入口前の路上であつたと認められ、この点については争いがない。そして被告人は検察官に対する供述調書において、進路六、七米位のところに何か黒いものを見つけてブレーキをかけたらその黒い物即ち洋傘に自車の前輪上部が当り停止し、おりてみたら人が一米位離れていた所に倒れていた旨を供述し原審公判廷においてもほぼ同旨の供述をしている(但し、原審における検証調書においては黒い物の九米手前で発見した旨指示している。)のであるが畠山信孝の傷害の部位、洋傘の状況からみると、被告人の車に衝突した疑が濃いのである。当時畠山信孝は酒に酔つていたことが認められるのであるが、被告人の車や被告人自身に何等の損傷がなく、また被告人自身転倒することもなく衝突の際ちよつと衝撃を感じただけであつたとしても、そのことだけで被告人の車が歩行中の畠山信孝がさしていた洋傘に衝突した事実を否定することはできない。また事故直後被告人が猪野義忠に「洋傘にぶつかつた」と述べたとしても、それは、ころがつていた洋傘にというのでなく、歩行中の畠山信孝のさしていた洋傘にぶつかつたという趣旨で述べたとも受け取れないことはない。それに被告人自身、前記始末書や司法警察員に対する供述調書において自己に不利益な供述をしているということは、そのこと自体供述の信憑性を支えているともいえるのである。しかし、注目すべきことは、畠山信孝の当時の服装はこげ茶色の毛糸カーデイガンにカーキ色木綿ズボンであつたのに、被告人はその進路からみて洋傘の先方約一米のところにいた畠山信孝に自車をおりてはじめて気がついたというのである(検察官に対する供述調書や原審公判廷における供述)。被告人の車の前照灯の照射能力、照射範囲、被告人の視力等に極度に異常なことでも認められない限りこのような供述は極めて不自然なことと思われるのである。また、証人飯島久雄、同富永福寿の供述によると、現場で被告人の車を使つて再現してみたところ、時速三〇粁で被告人の車は制動距離が約七米であつたという。証人石塚吉郎の尋問調書ではややその制動距離に差があるようである。もし、右の制動距離が証人飯島久雄の供述のとおりであつたとすると、被告人の車が畠山信孝に衝突したとの疑を深めることとなるし、違つた距離になると反対の結論になる可能性も出て来るわけである。このように考察して来ると、被告人の車の制動距離を中心として更に審理を尽すのでなければ、本件事故原因についてその真相を究め得ないことになるわけであり、この点の論旨はその意味において理由があることになるのである。

一、結論

以上論旨第二点乃至第四点についてそれぞれ明かにした如く、原判決には、要するに、判示減速徐行義務、前方注視義務の各違反の前提となる関連事項特に被告人の視力、被告人の車の照射能力、照射範囲、制動距離等について審理を尽さないで本件の事故原因を認定し被告人に過失責任を問うた違法があるので、右各論旨は総て理由があり、原判決は爾余の論旨について判断するまでもなく破棄を免かれない。

なお、起訴状記載の本件公訴事実と原判決の判示する本件罪となるべき事実とを対比してみると、原判決は起訴状に記載されていない減速徐行義務違反の事実を認定していることが明らかである。減速徐行義務は前方注視義務と密接不可分の関係にあるものではあるが全く別個のものでその前提の条件を異にするものであるから、減速徐行義務違反の点を問題にするのであれば、この点について訴因を明確にして審理を尽さねばならない。然るに記録を調べても原審が審理の過程において右の点につき被告人や弁護人に防禦の機会を与えたと認むべき形跡はない。結局原判決は何等の手続をも経ないで右の減速徐行義務に違反したという事実を認定して被告人に過失責任を問うているのであつて、この点所論が第一点で訴因変更の手続をとり訴因を明確にしたうえで判決すべきであると主張しているのも理由のないことではないと思われるのである。即ち原審としては前記減速義務違反の点をとらえて被告人の過失責任を問うのであれば、その点につき先ず訴因を正し、訴因を明確にしたうえ尽さすべき防禦は十分尽させて審判すべきであるということになるのである。この点を念のため附記しておく。

よつて刑事訴訟法第三九七条第一項により原判決を破棄し、同法第四〇〇条本文に従い本件を水戸地方裁判所へ差し戻すこととする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 新関勝芳 中野次雄 伊東正七郎)

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